山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

『インヒアレント・ヴァイス』──ピンチョン+ホアキン=痺れる夢の時間(★★★★★)

インヒアレント・ヴァイス』(ポール・トーマス・アンダーソン監督、2014年、原題『INHERENT VICE』)

 ノーベル賞候補の常連であるとされるトマス・ピンチョンは、いまやアメリカ最大の作家であるといっていい。しかし、その文体、スタイルは、生半可な映画化を許さない。ということで、本作は、初のピンチョン映画化作品である。いどむは、ポール・トーマス・アンダーソン、主演は、ホアキン・フェニックスといえば、もうとるものもとりあえず映画館へ駆けつけるしかない。

 ピンチョンの短編には、「エントロピー」(1960年)という作品もあるが、本作の原作の「インヒアレント・ヴァイス」(2009年)は、よく売れ、世間的には最も受け入れられた作品であるが、題名の意味は、エントロピー以上に難解である。作中でも語られるように、inherentは、「本来備わっている属性」という意味だが、viceには、悪徳、悪習、売春、制度の欠陥、性的不道徳など、ほぼ、悪徳と権力、制度とに関した、さまざまな意味があるからだ。

 物語の時間は、1969年冬から1970年夏の、ほぼ半年間。作中何度も語られる、「マンソン・ファミリー」の事件は、1969年8月に起きていて、いわば「その後」の時期、マリファナ中毒の探偵が、マンソン事件の象徴であるようなポップカルチャーの「ビーチ」をゆく。事実、映画では最後に、本では冒頭に、「Under the paving-stones, the beach!」(「舗道の下はビーチだ!」(1968年、パリのらくがき))なる言葉が刻まれている。

 マリファナでラリっているところ、突然現れた元カノが「ドック、あなたの助けがいるの」の言葉で、「なんとなく」腰をあげる探偵、ラリー・"ドック"・スポルテッロ、なんとなくイタリア系の名前(ピンチョンの作中人物は変わった名前が多く、しかもあだ名の挿入や、祖先を表す名字が使用される)。元カノの愛人が行方不明というが、愛人の妻とその愛人が、愛人の不動産王を精神病院に入れようとしているという。その愛人の所有地のひとつを訪れたら、後頭部を殴られて、気づけば、あちらさんの用心棒の死体といっしょに海岸に倒れていた──。一応「容疑者」にされ、「天敵」の、ジョジュ・ブローリン扮する、LA市警警部補、クリスチャン・"ビッグフット"・ビヨルンセン(こちら、北欧風のお名前)が現れる。

 ほかに、弁護士役のベネチオ・デル・トロ(真っ赤な上着が印象的)、なんとなくつきあっている風の女性裁判官、リーサ・ウェザースプーン、ヤバい状態にあるミュージシャンの、オーウェンウイルソンなどが「次々」登場して、言いたい放題の言葉をまき散らす。音楽は、曲の全部が最後まで流れ、経過する時間をリアルなものとして感じることができる。ブローリン愛用の「日本食堂」(笑)では、あのなつかしの、あの九ちゃんの「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」がたっぷり聴ける(笑)。

 ヒップ(ほんとうは60年代の、権力的「スクェア」に対して、反権力文化を表す言葉)な時代のヒップな場所のヒップな時間。すばらしく美しい眼のホアキンとともに、捻れに捻れた時間の中へ入っていく。確かに「お話」は、よくある探偵モノ。しかしこの時代、権力とカルチャーが入り交じったまま抱き合っている。そういう「魑魅魍魎感」(?)を、例によって細部にまで懲りに凝った「小道具」(現実の女たちのヌードを描いたネクタイとか)と、ゴダールにも負けないオリジナルなアングルの「正確な」映像によってアンダーソンは描き得た。
 「色を売らないいい男」の御三家、ホアキン、ブローリン、デル・トロが、絡み合うというでもなく絡み合う、贅沢至極、疼くような夢の、ポストモダン・エンターテインメントの三時間。