山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

『エイリアン:コヴェナント』──アンドロイド(AI)はただのプログラム(★)

エイリアン:コヴェナント』(リドリー・スコット監督、2017年、原題『ALIEN: COVENANT』

 物語としては、「スター・ウォーズ」みたいに、最初の「エイリアン」の前の時代、つまり「すべてのはじまり」に設定してあるが、題名の「エイリアン」はどーですか? 「エイリアン」へと続くのだから、「同じデザイン」でしょうけど、あまりに類型的。しかも、作品の中心は、マイケル・ファスベンダー扮するアンドロイド。物語は、ガイ・ピアース(が出るのかと期待したが、冒頭だけのサービス出演)が自分が創ったばかりのアンドロイドと対話し、その性能を見るところから始まる。
 一方、宇宙入植者輸送船コヴェナント号には、そのアンドロイドとそっくりのべつのアンドロイドらしい男が乗っている。彼は、「スタートレック」の異星人、ミスター・スポックのようなポジションで、船内管理の実行役として働いている。
 本作は、「世界一のハンサム」と言われる、マイケル・ファスベンダーの瞳のアップから始まるが、ついでに顔のあばたまで見えてしまって、あんまり美しく見えない(笑)。それが、新・旧、「二台」いるアンドロイドの、二役を演じる。物語のキモは、これが「悪」と「善」というか、エイリアン側と地球人側に分かれていて、さあ、どっちが支配するのかな~? という感じ。最後は、1979年の「エイリアン」へと続いていくので、ワルのアンドロイド、デイヴィッド役のファスベンダーが、善のアンドロイド、ウォルターとすり替わり、エイリアンの卵を、人類の卵(卵様の状態で宇宙へと移住する)の中に紛れ込ませるところで終わる。
 そして、このアンドロイドが、夫の船長(これがまたほぼ写真だけで、生きた状態から事故死するのだが、ちらっと見て、ジェームズ・フランコだとわかる。「スター」は、ファスベンダー、ピアース、フランコのみ。あとはあまり知られていない俳優)の次に船長になった男も死んだので船長となった、ヒロイン、ダニエルへの愛である。アンドロイドのウォルターが、なにかとヒロインに親身になる。それは、彼女への愛なのか? ウォルターは、「デューティー=義務」と答えるが。
 ここに大きな科学的誤りがある。アンドロイド(AI)はいかにそう見えても、人間的な感情は持ち得ない。なぜなら、ただの選択型プログラムにすぎないから。SFである以上、なにか「目新しいもの」、「わくわくさせてくれるもの」を期待したが、皆無だった。