山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

『シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢』──本年上半期ベスト1(★★★★★)

『シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢』(ジル・ルルーシュ監督、 2018年、原題『LE GRAND BAIN/SINK OR SWIM』)

 わが国では、憲法論議が喧しいが、民法が整っている国こそ文明国であると、民法の本で読んだことがある。考えてみれば、民法などない国も多々ある。つまりは、人間の生活の保証が整っていない。この映画を見て、フランスの底力、いみじくも本作のストーリーで、「基底がないなんて考えられん!」と、「二代目」の女コーチが言う。シンクロといっても、ここでは、アーティスティック・スイミングという名前に変えられていて、おそらく、ホンモノのシンクロナイズド・スイミングとは少しばかり違うのだろう。こういう競技が実際のあるのかどうか知らないが、ちょっと見たところ、シンクロにそっくりである。そこをどこからも文句のでないように変えてあるのも、フランスの智恵だろう。本作は随所にそんな智恵やセンスや意地や、論理が出てきて、それはがすべて物語のおもしろさに回収される。ひとつとして無駄なシーンやエピソードはない。
 わが国の政府の統計によれば、近年の、50代から60代の引きこもりは、60万人を数える。おそろしい数字である。本作の主人公もウツを患い、医者にかかるかからないにかかわらずウツ的人々が、このグループに大勢いて、あろうことか厳しい女コーチもアルコール依存症のグループセラピーに出ている。このコーチがキーパーソンになり、かつてはシンクロの世界的レベルの選手であったが、パートナーの交通事故のため、人生の夢をあきらめ、しがない公営プールでオジサンたちのコーチをしている。そしてこの女コーチのもとに、がんばっていくのかな?と思いきや、その女は、男にストーカーしていたかどで男に告発され、完全に脱落する──。
 そこへ、第二のコーチが現れる。彼女は、第一のコーチのパートナーで、今は車椅子で、やはり公営プールのコーチをやっていたのか? とにかく、その女が現れ、前のコーチ以上に、オジサンたちをしごきぬく。その過程において、おちこぼれのオジサンたちが、スポーツ選手としての自覚に目覚め、磨かれていく──。
 そして、世界大会。そこはもう、優勝することはわかっている。ライバルを先に出す。彼らは、おもに「カイパン」(=海水パンツ)の尻部分のデザインでお国を現している、素っ気ない幾何学模様風のドイツ、いかにもハデなイタリア、和風柄の日本……などなど。それぞれによい点数が出る。さて、フランスチーム、どんなカイパンデザインなのか? やはりトリコロールかな?と思いきや、シックな黒一色。さすがフランス。そして、曲は、メンバーの負け犬バンドオジサン作曲のヘビメタ? そこのところはよくわからないが、とにかく「スイミングの踊り」が、前衛的なのはわかった。プール(原題の大プール(グランバン(LE GRAND BAIN))の周囲に詰めた観衆がどよめく、スタンディング・オーベーション(笑)まで。しかしよく考えてみれば、それは、たかが、プールの周囲の観衆にすぎなかった。「無事」優勝を果たし、自己実現の自信に酔うオジサンたちの帰りのバン(負け犬バンドオジサンのぼろい車だ)。夕景にさしかかると、主演のベルトラン(アマリック)が停めろと言う。みんなぞろぞろ降りて、夕陽に叫ぶ青春映画。それぞれ、小さな幸せを手に入れる。主演のマシュー・アマリックの語り、「どうせ幻にすぎないことはわかっていたとしても……」なにかをやりとげた。
 自分勝手な人々が自己を抑えて勝利に挑むのではなく、自分勝手なまま、自分勝手な相手を受け容れることによって、さらにパワーアップしていく。言いたいことを言っているうちに、「公共」を築き上げる。これこそ、フランスの底力と見た。喝采。アマリックという俳優は、「巻き込まれ方」の、フランス人では珍しく、かつての名女優森光子のように、主演であっても引いた演技ができる。しかしそれもまた、フランス的だとも言える。なにか政府を告発したかのような抽象的な映画を作って悦に入っている日本とは、どだい「基底(ベース)」が違う。