山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

保坂和志「彫られた文字」(文學界2016年7月号)──目ざす方向には好感がもてるが成功しているとは言えない(★★★)

保坂和志「彫られた文字」(文學界2016年7月号、文藝春秋

「目玉」であるらしい柄谷行人には関心なくて、「18歳の君が投票するとき考えて欲しいこと」という各界有名人へのアンケートにも関心なく、かつ、こんな文芸誌を、新選挙人の若者たちが読むだろうか? という疑問も起こった。しかしながら、文芸誌で一番売れているらしいのは、この文學界ではないだろうか? ということを思わせる雰囲気は漂わせている。Amazonレビューも、拙レビューを除いて、一つだけついているし(笑)。

 今回、いろいろ文芸誌を「買ってしまった」が、それはそれなりに読んでみようと思う書き手の作品が掲載されていたからだ。本誌では、保坂和志。このヒトは、一般にはあまり知られてないながら、純文学のエースである。作風は、なんたってプルーストである、というと言い過ぎなるが、氏が師としていた、小島信夫である、とは言えるだろう。しかしながら、当方もそれほど小島信夫が好みとも言えず、もしかしたら、保坂の方が読みやすいというか、高級かもしれない。

『彫られた文字』という、四百字詰め原稿用紙換算、70枚ちょっと(?)の作品は、かつての会社の上司から送られた、彫られた文字だけでできた、コーヒーに関する作品のアンソロジー(彫った人の作品ではなく、既存作を集めたもの)を木版で彫って印刷している本に関して書き始め、そこから連想の思うまま、微妙な思考にも拘り、フロイトラカンベンヤミンカフカ深沢七郎大杉栄、など、著者の読んだ本からの思考の流出のまま、どこへ行くともなく書き進んでいき、結局、私小説のようななりゆきとあいなっていくのは、まったくもって残念である。最後は、関係した女性に関するエピソードまで行き、また「彫られた文字」の作者の元上司への思考に戻って終わる。こういう書きっぷりは、中野重治「五勺の酒」を思い出させないわけでもないが、ただ中野の場合は、一人称の、自由思考の語りのようでありながら、その語り手は、「小学校の校長」だったか、つまりはフィクショナルな人物である。
 保坂の、この、エッセイともつかない小説は、エッセイの、むしろ型にはまったエクリチュールからは自由になっていて好ましいのだが、中野重治のように十分にフィクショナル化できていない恨みがある。保坂氏に言わせれば、そんなことは目ざしていないということになるかも知れないが。とにかく、ここに書かれた作者の思考は概ね好感が持てる。
 ただ、氏が目ざす(『カフカ練習帳』にもあったように)カフカのように、形にできないものを書こうと志すはいいが、カフカほどおもしろくない。それは、まだまだ個人的具体化が足りず、世間に流通する抽象概念に囚われているせいかもしれない。

 「口直し」→ (当然)カフカの日記、手紙(『カフカ全集』新潮社など)。

文學界2016年7月号

文學界2016年7月号