山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

映画『日本のいちばん長い日』──曖昧な日本の、作者、監督、俳優たち(★★)

『日本のいちばん長い日』(原田眞人監督、2015年)

 第2次世界大戦とは、帝国主義国と帝国主義国が世界中の弱小国家を呑み込みながら、裏切りを繰り返した「仁義なき戦い」である。ポツダム宣言とは、「反ファシズム国家」の、米、英、中国の首脳が、日本に対して降伏を勧告し、さもなければ、連合国は日本を壊滅させるとし、日本から軍国主義の勢力を永久に除去しようとした宣言である。

 本作のもととなっている半藤一利の『日本のいちばん長い日』(文春文庫)は、発表当初(昭和40年(1965年))は、大宅壮一の名前の「ドキュメンタリー」であった。しかし、その30年後の1995年、ほんとうの作者の名前で再発行された。問題は、この「作品」じたいが、ドキュメンタリーなのか(確かに多くの人々に取材はしている)、フィクションなのか、曖昧であり、しかも、著者の歴史観のもとに構成されていることである。 

 「物語」は、全面降伏か、本土決戦かをめぐって、政府側と一部の将校たちが対立して、降伏前の「長い一日」を描いている。しかしながら、こんな対立などどうでもいいほど、世界における日本は孤立、劣勢に立たされており、この「物語」は、「茶碗の中の嵐」と言っていい。

 それを、1967年に、岡本喜八は、当時の歴史観で一種の政治裏面史として、ものものしく描き出したのであろう(たしかモノクロであったような……)。私は学校から授業の一環として見に連れて行かれたように思う。その後ももう一度リバイバルで見たかもしれない。しかし、記憶に残るのは、(阿南であったが、当時は人物の区別もつかない)「切腹」のさいの、自ら切った頸動脈の血が噴き出し障子に飛び散る場面、将校が上官(?)暗殺の際に飛び散る鮮血のしぶき、またクーデターの中心が失敗を自覚し、ピストルを頭に突きつけ発射するシーンだけである。本作にもそのシーンはそれぞれ出てくるが、それぞれは、肝心なところ(血が噴き出すところ)などを省略している。これは、残虐さを押さえ、ひろく子供たちにも見てもらおうという意図であろうか? 
 しかし、この筋書きでは、歴史的背景を知っていないと理解は難しいだろう。 
 天皇の扱いも、ソクーロフの『太陽』で、イッセー尾形が演じた昭和天皇が、かなりリアリティがあり、本木の天皇は、セリフも姿も美化しすぎているようである。

 まあ、監督も、キャストもスタッフも、歴史をよく知らない、「だいたい」の感じで描いているように思った。つまり、おおもとのところが、原作も含めて曖昧だから、すべてが曖昧にならざるをえないような映画である。