山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

『このミステリーがひどい! 』──ある種の作品に関しては同感

『このミステリーがひどい!』(小谷野敦著、飛鳥新社、2015年7月30日刊) 

 まあ、次から次へと御著書をお出しの小谷野氏であるが、世界史を書こうが日本史を書こうが、「春樹」を書こうが「ミステリー」を書こうが、みんないっしょ。どこを切っても「私小説」(笑)。自分は自分は自分は──。あんたが高校生の時なにを読もうがどーだっていいっての! 私も、「このミステリーがひどい」と思ってたものだから、つい、立ち読みもせずにAmazonで予約してしまって、もういらないと思ったけど、到着してしまった。線もひかずどこも汚さず、すぐBook off行きの箱に入れよう。
 だいたい、本書に取り上げてある「ミステリー」なるものの「おおかた」が、「日本の大衆小説」(って本人も言っているが(笑)、だったら、書名は、「この大衆小説がひどい」にすべきだ)で、外国の「ミステリー」作家は、「誰もが知っている」(「ミステリー」ファンでなくても)作家および作品ばかり、「誰もが知っている」クリスティも幅広い作家で、長い歴史のうちには、さまざまなスタイルの作品があるというのに。しかも、この本には、アントニー・バークリーの名前さえない(笑)。スタンスも取り上げる作家も偏っていて古い。せめて、「世界的大ヒット」の、『その女アレックス』のひどさを指摘してほしかったわあ(笑)。
 
 ──と、思ったんですが、『その女アレックス』に関しては、248ページにありました。この作品の評価、ならびに、原田マハ『楽園のカンヴァス』の「展開にリアリティがない」は、共感いたします。

 ……しかし、いずれもが「感想」の域をでておらず、「ひどさ」の分析などはされていないので、なにを書いてもすべてこの調子だろうと、もうこの著者にはなにも期待しない。どうか勝手に次々と御著書をお出しください。確実なのは、エントロピーだけは増大するでせう(合掌)。