山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

川上未映子『あこがれ』──まるで「ぬりえ」のような害のない世界(★★★)

『あこがれ』(川上未映子著、2015年10月、新潮社刊)
 
本書は、二章からなるが、この二章は、それぞれ、『新潮』に一篇ずつ発表された。第一章「ミス・アイスサンドイッチ」の冒頭数ページは出色のできで、それは、少年(小学四年?)が「話者」であるが、言葉の出てき方が、まるで詩である。このレベルを保って、終わるまで貫かれていれば、世紀に残る大傑作ではないかと興奮したが、やがて、「ありがちな少年少女の物語」へと収束していく。
 第一章が少年なら、第二章「苺ジャムから苺をひけば」の「話者」は相手の少女なのだろうな、と思っていると、まったくそのとおりで、感傷的な「母恋モノ」に、一章ではユニークであった少年が、ものわかりがよく優しいだけのボーイフレンドになって、「現実世界ではあり得ない小学生時代の日々」で終わる。

 このミステリーがすごい大賞だったか、最近の受賞作に、『女王は帰らない』という小学校カーストモノがあり、さすがにミステリーだから残酷に作られているが、本書のように、子供たちは互いをあだ名で呼んでいたり、会話の調子など、共通点が見受けられる。この著者の『ヘヴン』も、少年少女ものだったし、こと少年少女の内面を書かせたら、なかなか読ませるのであるが、やはり、大人の読者には、少々もの足りないかなと思う。おとなの世界が書けないのか?

 本作を映画に絡めるなら、当然、ウェス・アンダーソンの、『ムーンライズ・キングダム』(2012年)である。あの映画のように、少年と少女は、駆け落ちするのかなと思ったら、文科省も推薦の(笑)、清潔な友情で終わっている。「思春期寸前の少年少女」ということだが、トリュフォーの『思春期』だって、もっと低年齢であった。本作には、現実世界の汚らしいこと、複雑なこと、絶望的なことはほとんど書かれておらず、第二章では、主人公の少年少女は、六年生になるのだが、肉体の変化や、それにともなう世界との齟齬も、まったく描かれていない。