西村賢太著『一私小説書きの日乗 遥道の章』──断腸亭驚愕(笑)!(★)
(Amazonに)二つのレビューがあがってますが、読んだところ、どうも、断腸亭センセイこと、永井荷風の、『断腸亭日乗』をご存じないようである。西村賢太氏のこのシリーズは、そのまねをしたものであるが、なんというか、全然そこに届いてない、永井荷風も驚きのただのメモである。『断腸亭日乗』という本になった、断腸亭日記は、荷風39歳から始まって、十数年ぶん、55歳あたりまで。
ただし、上記期間は、「原本」である。原本は、以下のような「体裁」である。全集には写真も載っているが。
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『断腸亭日乗』なるものは、その日記を「作品として意識したもの」であり、原本『断腸亭日乗』(罫帋本(罫の入った和綴じの本)に浄書した、荷風自らが人に依頼して作製したもの)は、第一帙(和綴本)から第五帙に題名を付けられて浄書し製本したもの。それぞれの帙の題字は、「断腸亭日記」と記されている。その第一巻の巻頭に以下のようにある。
此断腸亭日記は初大正六年九月十六日より翌七年の春ころまで折々鉛筆もてかき捨て置きしものなりしがやがて二三月のころより改めて日日欠くことなく筆とらむと思定めし時前年の記を第一巻となしこの罫帋本に写直せしなり以後年と共に巻の数かさなりて今茲昭和八年の春には十七巻となりぬ
かぞへ見る日記の巻や古火桶
五十有五歳 荷風老人書
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生前公開の帙から「断腸亭日乗」として「意識された日記」は、死ぬ直前まで(80歳)書き続けられた。
巻にして17巻。岩波の全集には、21巻から26巻まで当てられている。早くから、その内容の洗練は注目されていた。西村氏が、表面だけを真似た(つもりで書いた)、有頂天になって「買う」のところだけなぞっている(?笑)、「放蕩作家のただのメモ」とは、似ても似つかない。
『公募ガイド』2016年7月号のインタビューを読むかぎり、勉強されているようであるが、というか、勉強されているようなので、本書を書店で手に取ってみて、驚愕したしだいである。なに? これ? ただのメモ。「×月×日、××の編集長と飲む」。あ、そ。売れてるらしい作家の日々がメモられてるだけ。そこからは、なんの香りもしない。屁の臭いくらいするかもしれないが(笑)。
最初は、文藝春秋だったかな、そこから出たのであるが、その後、角川の雑誌に移って、そこからシリーズ化されている。まー、「中卒」が売りでもいいですけどね、しかし、小学校卒の、佐多稲子センセイの足もとにも及んでないのは、やはり金が入って、遊びがすぎちゃってるのか。なにが「逍道の章」だ。読者をバカにするにもほどがある。周囲もバカすぎるんだな。