山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

保坂和志著『カフカ式練習帳 』──カフカが気の毒(★)

カフカ式練習帳 』(保坂 和志 著、 2012年4月、文藝春秋社刊)

カフカと言えば、とりあえず、なにか文学的なことを言っているつもりなのか、ただ「理解しがたい」(おのれの頭の悪さを棚にあげて)、「表現しがたい」(おのれの表現力を棚にあげて)状態を、「カフカ」というブランドで(自他共に)誤魔化しているのか、プロ・アマ含めて、やたらと持ち出す人があまりに多く、そういう人々に辟易するあまり、ほんとうのカフカから遠ざかってしまう読者がいるとしたら、まったくカフカが気の毒である。
 本書の場合、カフカの小説作品というより、日記、書簡などを想定させるが、実際、カフカの日記などを読むと、ぼんやりとしたもの思いのなかにも、深い文学性や想像力を刺激するものが含まれている。それはカフカの生きた時代、場所、状況を、カフカという作家が、身にしみた現実だけを正直に書いているからである。それに比べて、カフカの威を借りる人々は、切実でもないことを頭で書いていることが多い。保坂和志がそうなのかどうか、実際はわからないが、本書の記述は、カフカが決して書かなかった「枠」ばかり書いており、深く失望させられる。