山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

「細田傳造氏がまた……」

 細田傳造氏より、ふたたび同人誌、今度は、去年の9月刊の『妃』を送っていただきましたが、表紙には既視感もあるのですが、何度も言うようだけど、「一番高貴な詩の雑誌」というキャッチコピーだかなんだか知らないけれど、それを表紙に印刷してあるのだが、自らでこんなふうに言ってしまうのは、どーですかね~?(笑)。
 ここに、細田氏が加わっていたとはね~……。しかも、この号の「目玉」の中沢けいが、細田さんの詩集『かまきりすいこまれた』の「感想」を書いている。これは批評とかいうレベルではなく、ただの感想でしょう。しかも、けっこー紋切り型。こんな「有名人」に感想書いてもらって、なにがうれしいんでしょう?
 はっきり言って、この号で、詩に値するものを書いているのは、小谷松かやだけ。細田さんの「妹」という詩も悪くはないのだろうけど、既視感あり。
細田さんは、いま、いろいろな同人誌に加わり、いろいろな「詩人」たちにまみれ(?)、もまれているつもりなのかもしれないけど、なんらプラスにはならないと思う。「詩人的」感情のうずのエントロピーの中に取り込まれ、個性はどんどんなくなるかもしれない。この『妃』は同人が多すぎる。せいぜい五人以下でやった方がいいのでは? そこで、提案だが、このなかの、小谷松かやと二人でやったらどうかな? もっと質素でも。しかし、いずれにしろ、表現行為をするものは、元来孤独なもので、その孤独を受け入れないことには、一流の表現者となることはできないだろう。集団でいると、どうもそのへんがあいまいになるし、お互いホメあってしまうし、そうでなくても、多くの「詩人」(「歌人」「俳人」も含めて)さんたちは、ホメことばだけを追い求めている。
中沢けいと並ぶ」ぐらい私にだってできる(笑)が、ここに並ばせてくれた人とは二十年以上つきあったが、その人には、一度もホメられたことがなかったので、そのことを言うと、「その人をダメにしてやろうと思えば、いくらだってホメればいいのだから」とその人は答えた。
ついでに言えば、SNSでは、「有名人」とは対等な「友だち」カンケイは築けず、結局「ファンクラブ」のようになってしまう。ので、私は切りましたのよ、中沢けいさんは。切っておいてよかったと今思いますワ(爆)。こうして言いたいことが言えるのだから。と、言うわけなのさ。
 なんでも「あとがき」を見れば、細田さんは、浜畑賢吉田村正和高橋英樹林与一と、同じ年の生まれだとか。へえ~。きっと細田さんも、若い頃は、色男だったんだ~。しかし、いまはジジイになってしまって、先にあげた役者のみなさんは、「色男」のまんまである。そのワケを、じっと胸に手を当てて考えてみた方がいいのでは?。おわり。

(この文章に、『「中沢けいと並ぶ」くらい私にだってできる』という題名を考えたが、やっぱ、「中沢けい」を題名に入れるのは、まずいな(笑)というわけで、ここでは題名なしで。ブログにコピーのおりは、あたりわさりのない題にします(笑)

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