山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

【詩】「大御所、有名人、賞、古本屋」

「大御所、有名人、賞、古本屋」

アメリカ詩選」の目次を見ていて驚くのは、日本の現代詩でかつて言われた、「マイナーポエット」のような詩を書いている詩人は皆無である。況んや、「イギリス詩人」をや。「フランス詩人」にもないし。
「大御所」にハードカヴァーの詩集を送ると、近隣の古本屋に出される。ISBNなどついていない小冊子だと、「燃えるゴミ」行きか?
そんな「大御所」にお教えしたい。オンラインのブックオフなら、ISBN付いてなくても、売れます。選択はあちらしだいだが、可能性はゼロではないです。

つまならい日常やもの思い、そいつが、詩のもとになっている、
それはそうなんだが、表現として、まんま書いてしまって、
はっきりいって、詩になっていない。
どんな散文も目指すところは、詩だ、と吉田健一は書いている。
その詩が目指されていない。
ただの感慨、ただの抽象、そう「ただの」文字
うまく立ち回れば、「大御所」「有名人」となっていき、
そういう村社会で、賞がやりとりされている。
ばかばかしい世界。そういう世界に、
のめり込んでしまっている人々がいて、日本では、
自他共に、詩人と言われる。
そんな動きを下支えしているのが詩誌で、
発行部数は、500部以下と推定されるが、
それでも信望者は300人くらいはいるだろうか?
日本の人口は、一億何千万ですが、
そのうちの、無視できるほどの数の人々が、
こういう世界を作っている。
いじましく、せこく、本人たちだけが、
酔っている世界。
まー、いずれ、あとかたもなく消えていくだろう。
りっぱな装丁の「本」は残っても。
それでも、マイナーな美学、洗練があるだろう、
ひとつ、Amazonレビューで、そいつを
擁護してみようか。

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