山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

ベケットからの旅

ベケットからの旅」(引用の詩はすべて拙訳)

その1、「ゲーテへの旅」

「禿鷹」 サミュエル・ベケット

飢えをひきずりながら空をよこぎる
空と大地の私の頭蓋骨の

獲物に飛びかかりながらその獲物は
じきに命と歩みを取り上げられるだろう

役に立たないナプキンに嗤われる
飢える大地と空がくず肉になるまで

****

この詩は、『ベケット全詩集』の最初に収録されている。

ベケット全詩集」(2012年、faber and faber 社(ロンドン)刊)

第1部 戦前

「エコーの死骸とそのほかの余り物」より

skull(頭蓋骨) ──ベケットのテクストによく多用されるイメージ

stooping(飛びかかる)──鷹狩り用語

「命と歩みを……」──「マタイ伝9章5節」に、「th〔a〕n take up my bed and walk」(聖書では、寝たきりの人をイエスが起こした奇跡について言及……だったと思うが……)

くず肉=余り物(offal)──「プルーストと三つのダイアローグ」(プルースト論)では、「経験の余り物」のように使用。

****

(この詩は、既存邦訳もある。高橋康也訳(サミュエル・ベケットジョイス論/プルースト論』白水社、1996年刊(以前の版を新装したもの)では、「こだまの骨」題されている。


*****

この詩は、ゲーテの、以下の詩にインスパイアされて書かれた。

「ハルツ山への冬の旅」 ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ

どんよりとした朝の雲の下
その翼を優雅に宙にとどめ
獲物を探す偉大な一羽の猛禽
そのように
わが歌よ飛翔せよ

というのも、(オリンポスの神々の)ひとりの神は
あらかじめ
それぞれのコースを
あらかじめ運命づけた
そこでは、
幸福な男は
喜ばしいゴールまで
はすばやく運ぶ
しかしそのハート(心臓、胸)が
不幸によって制限された男は、
運命のブロンズの糸でできた防護柵を
無駄に叩く
剪定ばさみのみが、悔しいけれども、ある日切断することができる

その藪の避難所のなか、
粗野な野生の動物が進軍する
そして、あのムシクイといっしょに
長い間沼地に潜んでいた
富んだ人々は

改良された道路を
王子の入場に続き
ゆったりと進む荷馬車のように
運命の女神が先導する
その二輪馬車に従うことはやさしい

……(以下略)

ゲーテ詩103篇』

28番目の詩の註より

「"Harzreise im Winter." 1777年-78年、冬。ハルツ山脈への旅の直後に書かれた。1827年版:"XI. Vermischte Gedichte"ゲーテ自身の解説は役に立つ。なぜなら、詩の難しさは背景のデータが排除されていることにある。すなわち、詩人は、詩作にあたって、旅での彼の実際の経験から異質な部分を象徴的に選択するのであるから。ハルツ山脈は、ワイマール公国に属する土地にあり、ゲーテは、そこへ、銀鉱の調査のために派遣された。彼には、そこを訪れた第二の、個人的な目的があって、それは、ふさぎ込んでいる文通相手を訪問することであった。──」

ゲーテの詩は、ドイツ語と英語のバイリンガル版(上記の書)を使用し、英語より訳出。
この時期、ゲーテは人妻と交際していた。

「どんよりとした朝の雲の下
 その翼を優雅に宙にとどめ
 獲物を探す偉大な一羽の猛禽
 そのように
 わが歌よ飛翔せよ」

ベケットをインスパイアしたイメージは、ゲーテが、「猛禽のようにわが歌よ、飛翔せよ」と書いた部分である。

 どんよりと曇った空の下、獲物を探す禿鷹
 そのように、わが歌よ飛翔せよ

 朝、食事を探す禿鷹
 その禿鷹に襲われつつある獲物
 それはやがてくず肉と化す
 しかしそれは私の頭蓋のなかのできごとでもあり
 言葉とは、くず肉
 使いもしないナプキンにさえ嗤われる──

 と、こんなふうに私はイメージした。極端に言葉を切り詰め、「屑」としての言葉を拾う。ベケット的頌歌。骸骨への、くずへの、余り物への、頌歌。


テクストは「本店」に置いてあります↓


イメージ 1

イメージ 2