山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

『つくおき』(nozomi著、2015年10月、光文社刊)

『つくおき』(nozomi著、2015年10月、光文社刊)
 
「つくおき」の目的は、時間の節約のためだろうと思われるが、週末の「まとまった」数時間を、一週間ぶんだかの、料理を作るためにとっているのは、まったくもって本末転倒である。これが、ほんとうに合理的であると思うのは、錯覚である。
 なぜなら、週末のまとまった時間ほど、キャリア作り等で、集中して勉強などをしなければならない時間であるし、数時間なりを集中できるというのは、たいへん貴重である。それを、ただ「一週間ぶんの料理のつくりおき」のために使うのは、サラリーマン奴隷生活を継続して続けるなら、それなり意義のあることかもしれないし、食を、ただ、腹を満たすためのみと考えるなら、それなり合理的かもしれない。
 しかし、以下のことは考慮に入れておく必要がある。
1,作り置いた料理は、確実に、味、栄養価が低下していく。
2,作り置いた料理を毎回、皿に盛る、あるいは、容器のまま、食卓に並べる食生活は、確実に、なにか、楽しみみたいなものをそいでいく。
3,本レシピをみると、ドライトマトなどの、普通はなくてもよく、意外に値の張る材料も使っているので、かえって、その都度、「ちゃちゃっと」「ありあわせのもので」作った場合より、食費はかかるだろう。
4,食というのは、ある意味、ストレスのいちばんの解消法ともなるので、こういう生活を続けていくのは、精神的に塞いでいく可能性もある。
5,もちろん、子どもいる家庭では、するべきではない。つまり「つくりおき」とは、原則的に、シングル者のやむを得ない手段である。同様な、「やせるおかず 作りおき」(柳澤英子著)のように、「一人でやせるため」という目的を持ったものなら、それなりに肯ける。