山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

【詩】「犬神曲」

「犬神曲

私を先導していく大詩人は、ウェルギリウスではなく、誰あろう、松尾芭蕉
そしてめぐるのは、地獄の一丁目、大阪は花屋の離れで最後を迎えることになったこの大宗匠は、ひどい下痢で厠に座ったまま、地獄絵を見せられることになった。ボルヘスによれば、それは、すべてを含む世界地図ということだが、果たしてそうかしら? ボルヘスは、エリオットにようには厳密なテキストリーディングをせず、彼一流の印象批評
のように見える。
地獄、煉獄、天国、新生
私はいったい何教徒なのか?
宗教がなければ、死をどのようにも解釈できないのか?
ジョン・ダンは、「死よ驕るなかれ」という詩を
書いているが、それとて、なにか、ひどく抽象的なものに
思える。詩とは、
もっと即物的なものなのに。
いかなる解釈も寄せつけないもの。
エリオットは、ダンテ『神曲』の、「天国」まで
読まないと、「地獄」の細部の意味はわからないと言っている。
いや、芭蕉には、さらに先導詩人がいた。それは、
西行である。
その先達が芭蕉に示すのは、
なんとゆーか、美しい桜。
その花の下で死ぬことがいかに幸福かしか
語らない。厠から座敷に戻った芭蕉の寝床に、
弟子たちが次々見舞いに訪れる。
てな様子が、『花屋日記』に書かれているが、
これは、偽書だそうである。
いいの、べつに、どうせ犬だから。
私は、生まれ変わることを考えているが、
もう犬にだけは生まれたくないとも
思っている。

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