山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

【詩】「序文の海」

「序文の海」

たとえば、L・ビンスワンがーの『夢と実存』は、M・フーコーの序文の方が、本文より長い。そこまでいかなくても、フーコーの序文は常に長く、そこで、本文が要約され、要点も示されているから、それを飛ばすことはできない。
おおむね外国の本はそんなふうである。飛ばして本文へいきたくなるが、そうすることは、得策ではない。
岩波の『新 日本文学大系』でもそれは同じことで、「万葉集」なら、「万葉集」という書名の意味が、書誌的に語られている。
「万」とは? 「葉」とは? 「集」とは? 各時代各人各説。
序文の海をかき分け、本文(ほんもん)に達すれば、
飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は 下つ瀬に 流れ触らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし 夫(つま)の命(みこと)の たたなづく 柔膚(にきはだ)すらを
人麻呂が作っていく古代の言語空間
桜は、(育てやすい)ソメイヨシノにあらず、山桜なり
神話はアレゴリーにあらず、古代の生なり、
と、本居さんは書いていたやうな……
けだし=If...
仮定法が続くなり
序文の海漕ぎゆかば、そこは、べつの神の国なり



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