山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

【詩】「影」

「影」

Or puoi la quantitate comprender dell'amor ch'a te mi scalda, quand'io dismento nostra vantate trattando l'ombre come cosa salda.

T.S.エリオットの詩集『プルフロックとその他の観察』の冒頭に、上の語句が引用されている。水死した男の恋人へ、そっと捧げる花束のような言葉だ。この言葉は、ダンテ『煉獄』第21歌からの引用で、古イタリア語で書かれている。わたしに訳すことなどできないので、河出書房新社版『神曲』の平川祐弘の訳を引用すれば、「これで私の貴君に対する敬愛の情のほどがおわかりでしょう、私どもの空ろな身の上も忘れて、私は影どもを実のあるものと思って、振舞ってしまったのです」
これは、ウェルギリウスを慕う、スタティウスの台詞。この場合は、ウェルギリウスとも知らず、ウェルギリウスへの敬愛を披瀝したスタティウスが、目の前にいるのがウェルギリウスと知って語った言葉であり、その前に、ウェルギリウスが、

「君は影だ、君の目の前にいる私も影だ」

と、諭している。

幻の、影を慕いて、
という歌を古賀政男は作った。なんでも、失恋ゆえに自殺をはかったのち、作った歌だとか。古賀政男とダンテなど結びつかないが、そして、その曲を愛唱しているとは言い難いが、日本人なら誰もが耳にしたことがあるだろう、程度にしか、知らないが、それでも、そんな歌が思い出された。

言葉も影なら、人生も影で、愛も影。エリオットに戻れば、ひどく、「彼」を愛していたのだな、と。そして、W.H.オーデンは、自由に男を愛するために、エリオットとは逆に、イギリス人からアメリカ人になってしまった。詩はここからはじまる。

影、光、無、風、魂、水、死、そして、

漢字。


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