山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

伊藤比呂美著『女の一生』──「『女』それは、オワコンではあるが……」と、ボーヴォワールは1949年に……(★★)

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女の一生』(伊藤比呂美著、岩波新書、2014年9月刊)

「女」というテーマはすでに「オワコン」(「終わったコンテンツ」)ではあるがという含意で書き始めている『Le deuxieme sexe』が出たのが1949年である。以来本書は、フェミニスト思想のバイブルのようにされてきたが、わが国で有名となった、「人は女に生まれない、女になるのだ」という「書き出し」が、実は、第2巻の書き出しであり、原著をごちゃごちゃイジって出してしまった「最初の邦訳」せいで、かなりまえに、正式版が出たが、時代状況もあり、取り返しのつかないところにまで行っている。どう取り返しがつかないかと言えば、「女」と言えば、このヒト、伊藤比呂美の専売特許のように、日本の出版界はなっていて、しかも、ボーヴォワールの『第二の性』は入手困難な状態となっている。とくに仏語版第1巻は、内容的に難解な記述になっているためか、どこかに放りやられている体がある。
 本書は、文字通り、女として自立するために、「書くこと」を選び(というより、それしかなかったのか)、私生活もなにもかも書き散らして(ごく一部の「これだけは売らない」の部分はもちろん存在するが)、文字通りで、真っ裸で、生き抜いてきた証左である。しかし、それ以上のなにがあろう? しかし、それはなかなかできないことでもある。本書はどのように読めばいいか? ま、「私小説」ですね。そのように読めば、それなりに面白いし、読むに耐える内容にはなっていると思う。
 真に「女」の問題を、今の時代に提出したいなら、岩波書店さん(でも、どこでもいいですが)、お願いですから、「もう一度」、ボーヴォワールの『Le deuxieme sex』を正しい訳で、「オリジナルのまま」だしてください。
 まともな「男性読者」に多く読まれないかぎり、「女の問題」は進展しない。伊藤氏の「先輩格」の上野千鶴子の、「女は連帯しよーぜ」って思想でも困るんです(笑)。