山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

【詩】「壊れたイメージの山」(A heap of broken images)

「壊れたイメージの山」(A heap of broken images

きみは、なんの権利があって、ネットに発表したひとの詩を添削しようとするのか。べつに頼んでもいないのに。それは、自分は、この詩の作者より優れた詩人であると思うから、頼んでもいない添削をする意識がどこかにあるに違いない。いいですか、ネット上では、どんなに拙いと、あなたが思う作品も、頼まれないかぎり、添削すべきではない。それは、おせっかいというものであり、相手対する卑下の表れである。それに、作者本人でもないのに、どうして作者の意図が、作者以上にわかるのか? 確かに誰しも、心のなかでは、「この詩はこうした方がいいのに」とか、「この言葉はべつの言葉にした方がいいのに」と思うかもしれない。しかし、それさえ、それは、あなたの勝手な思い込みなのである。
表現というものは、どんなに拙かろうと、その人自身の精一杯の表現(技術も語彙も教養も好みも、勘違いさえ含めて)なのであり、それが、コンクールに出されたものなのであれば、そして、あなたが、選考委員であれば、勝手に落とせばいいのである。
そういう立場でもないのに、勝手に、「こうした方がいい」と言ってくるのは、奢りの現れ以外のなにものでもない。
この詩のタイトルは、エリオットの「荒地」から取っている。まさに、きみのアタマの中身そのものである(笑)。
そんなアタマの中身を抱えてきみはどこへ行くのか? そう、もはや、枯木さえ保護してくれない、コオロギたちも救われない土地へ。アーメン。

And the dead tree gives no shelter, the cricket no relief,